最後のピースに火をつけろ
飛騨在住 ゲストハウス”village" 百姓アナーキスト 牧島竜也の日記


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教育を学ぶ旅 前編
あらゆる所で対立が起きる。
あらゆる所でまた推進派と反対派が揉め事を起こす。
あらゆる所でまた宗教が揉め事を起こす。
あらゆる所でまた親子が、夫婦が、友達同士が、ご近所さんが、思想、容姿、価値観、とにかく自分と違う部分を見つけて揉め事を起こす。
自分と違う部分を受け入れられずにいる。
世の中の全ての争いの原因。
社会というのは人が作っている。
より良い社会は仕組みによって作られるわけではない。
人が変わればその時には社会も仕組みもそれに相応しいものが生まれるのだろう。
何が正しくて、何が間違っているという事じゃあ無い。
長い物に巻かれず、自分の考えで行動し、なおかつ他人を尊重出来る人々から生まれる社会。
そんな社会を俺は生きていたい。
そんな社会のために俺が出来る事があるなら、俺の人生はそれに使いたいと思う。
俺ももっと成長しなければいけない。
長い時間をかけてこびり付いた時代遅れの価値観が未だ時々現れては俺の邪魔をするから。

と、前置きが長くなってしまったけど、そんな事で俺は新しい社会を形成していく今の子供達に古くさい価値観を押しつけず、自由な発想で生きていける環境を作りたいと思った。
そんな中、去年我が家には、小学校に通っていない11歳の少年2人が時々遊びに来ていた。 
軽々しく学校作りたいなんて言っていたものの、いざ子供達と向き合ってみたら、どうするべきなのか分からない事が多々有り、これは自分にとっての学びの機会でもあると言う事を痛感した。
そこで実際すでに始めている人達のやり方を見てみたいと思い、先日学びの場を巡る旅に出たので、その報告というわけ。

かつて一緒に暮らしていて、現在は宮崎に住んでいる友達と兵庫で合流し、まずは三宮サドベリースクールという所に行った。
着いてみると街中の住宅街にある小さな民家だった事にまず驚いた。
外にはこんな看板があった。
西宮サドベリーの名前の由来となったサドベリー・バレー・スクールは40年前、ボストンのサドベリーという所に出来た学校で、最初のデモクラティック・スクールと言われているらしい。
フリースクールに興味を持ち始めてから、よく耳にするようになったデモクラティック(民主的)・スクール、教育理念は100%子供を信頼するという事。
年齢は4歳から19歳まで。 1番の特徴は、子供達によるミーティング。
ここでのルールは子供達自身が決めていて、見せてもらったらかなりたくさんあった。
もちろんそのルールもミーティングで変える事が出来る。 学費の使い方も自分達で決める。
学費を使いたい人はミーティングでプレゼンをして許可をもらう。
ゲーム機を買いたい、サーフィンに行く交通費、韓国語を習いたい、美味しいカレーを研究したいから食べに行くお金を出して欲しいなど様々。
勉強したかったらスタッフと一緒に先生を探す所から始めて、授業料の交渉も自分でやる。  驚いたのは、スタッフの給料(スタッフの要望も聞きながら)や任免もミーティングで決めているという事。
要するに子供達が一緒に運営してる。
好きな時間に来て、好きな時間に食べて、その日何をするかも自分で決める。
最初は暇になってしまう子も多いらしいけど、その中で少しずつやりたい事を見つけていくらしい。
たしかにここで子供達がやっている事は、社会に出た時に役に立ちそうなことばかり。 
とにかく大人は出来るだけ何もやらない。
子供は自然の中で育つべきだとか、どういう物を食べるべきといった大人の価値観も押しつけたくないとの事だった。
ここで育った子供達がどうなっていくのかはとても気になる。
取り入れられそうなアイディアもたくさんあった。
俺は田舎がいいなあと思ったけど。

姫路や岡山では久々に会う友達の家をたずね、それぞれの場所の近況などを聞きつつ、車の中ではああだこうだ教育トークをしながら、次に向かったのは山口県にある、こびとのおうちえん。
園に泊めてもらう事になっていたので、前の晩に到着。
その夜は園長のあつおさんと、夜中まで話し込む。
あつおさんは20代の頃、迷走していた。 生きている理由が分からなくなった。
そんな時、機会があって東アフリカのケニヤに支援活動の手伝いをしに行く事になった。
途中、現地で出会ったケニヤ人の友達が、農繁期で故郷に戻るというので、付いて行く事にした。
その村で過ごした強烈な3週間が人生を変えたとの事だった。
農繁期といっても、畑仕事は午前中で切り上げて、午後からはそれぞれ自分の得意な事を始める。
炭を焼く人、お菓子を作る人、大工仕事をする人。
出来た物はみんなでシェアする。
そこの村にはまだあまりお金も流通していなかったらしい。
子供から老人までみんなが幸せそうで、楽園のように思えたそうだ。
それで、故郷の山口に帰り、食べる物を作る事から始めた。

そんな中、あつおさんは隣町である上関の反原発運動に関わっていく事になる。
カヤックをやるあつおさんは、海上での抗議行動に時々参加していた。
そこでの対立を見ていると、自分は反対派にいたものの、推進派の人の思いも分かり苦しくなった。
大切なのは相手を尊重して共に生きてゆく事だと思った。
それが出来る人が増えなければ世の中は良くならないと思い、保育園を作る事にした。
作る事を決めてからはトントン拍子で場所やらスタッフが決まった。
奇跡的な事がたくさん起きてあっという間だったらしい。
「宇宙はすげえよ」と言っていた

すべて俺と一緒だった。
絶望していた20代。 人生を変えた旅。 反対運動に参加する中で感じた違和感。
そして教育にたどり着いた。
少し先で既に始めている人が目の前にいた。
見学は明日だというのに、嬉しくてその夜はなかなか寝付けなかった。













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マッキー!会話が聞こえてくる記事だね~(^^)/元気ですか?
| mayuko | 2015/05/30 10:34 PM |